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日本人のお客様に親しみの湧く話になるよう、ひと昔前の日本に舞台設定を移した。喪服で泣いていたはずなのに豹変する親戚一同、彼らを翻弄しつつも娘には弱いジャンニ、辺りをうろつく幽霊、次の世界に旅立つ若者達と、各キャラクターをコミカルに際立たせた。(撮影:長澤直子)
最も華やかなクリスマスの情景が描かれた第2幕と、恋人達が凍てつく寒さの中別れてゆく第3幕を、敢えて続けて上演。合唱にも細やかな芝居をつけ、喜劇と悲劇の対比を打ち出した。
最終場面では黒一色の群衆に主要キャスト達が混じってゆくことで、それまで社会からの逸脱を選んで生きてきたボヘミアン達が、ミミの死を通じて「大人」になってゆく様を描いた。(撮影:長澤直子)
「大切なものは目には見えない」の名言で知られる《星の王子さま》を、オリジナルの脚本と近代フランス音楽で表現。声、芝居、ダンスの総合芸術としての演目を目指した。
(写真1枚目~9枚目:小杉朋子、写真10枚目~19枚目:長澤直子、集合写真:会場スタッフ)
第3幕前奏曲に「京都」と「大阪」と「チェーコ」の死を示唆する芝居をつけ、第3幕の主要登場人物を全て死者として演出。合唱にも細かな演技をつけ、現世の人間の儚さと来世への憧れを描いた。
《蝶々夫人》のゴローのその後を、オペラの前に登場するまでの彼とパラレルにしながら描いた。使用楽曲は《蝶々夫人》以外に他のオペラ/オペレッタ曲、フランス歌曲、リートなど、多岐にわたる。(撮影:長澤直子)
会場のエプタザールを縦横無尽に使い、台本設定にある「楽屋内でのドタバタ喜劇」を再現。またその中での男女の出会いや芸術をめぐる議論を掘り下げた。
花弁を「好き…嫌い…」と散らしてゆく動作で、恋心を象徴的に表現。恋心を覚えたジルダとそれを受け入れられない父リゴレット、そしてジルダに頽廃した宮廷人達には無い希望を見出したマントヴァ公爵の、3人の関係を描いた。
「愛している、と言いたかった人へ」をテーマに、アンジェリカと今は亡き人との、引き裂かれたがゆえに美しく在り続ける愛を描いた。また公爵夫人、修道院長、修道女長、修練長、そして若い修道女達にも、それぞれのキャラクターを与え、より「生きた」人物関係を築いた。(撮影:高田慧)
アンティークな雰囲気の漂うサローネ・フォンタナでの公演。会場の特徴を活かし、会場全体が伯爵夫妻の屋敷であるかのようなアクティングを行った。また、花・花弁・花弁の落ちた茎によって、登場人物達の心境を象徴的に語った。
多くの人に親しまれてきた日本の歌謡曲を、1つの物語にのせて上演。明治後半期の日本を背景にした男女の悲恋が、100年後に実を結ぶまでを、ピアノと筝の音色とともに届けた。
19世紀的なオペラの世界に憧れてきた作曲家と、「現在」を生きながらも「理想的」な愛に憧れてきた女優ツェルビネッタの邂逅を、過去の作曲家達やオペラ作品の墓場≒荒れ果てたナクソス島で展開。270度客席とした空間で、登場人物が縦横無尽に駆け回る序幕と、芝居と現実の境界が破れてゆくOperaの世界観を表現した。(写真1枚目~9枚目:岩井翔平撮影、10枚目~14枚目:プロダクションスタッフ撮影)
台詞部分の日本語潤色台本によって、笑いの中にも各人物の登場経緯や思惑を明確に表現し、曲中の立ち回りもより演劇的要素を重視。傘を「武器」から「人を思いやるための道具」へと用途を変えさせることで、物語中で暴力の連鎖が消えてゆくことを表現した。
(撮影:長澤直子)
ビゼーのオペラで有名な《カルメン》を、その原作者メリメの回想および「物語」として再構成。オペラだけでは考え尽くすことの出来ないカルメンの深層心理と、彼女に惹かれた男達の軌跡を、ビゼーの音楽もふんだんに採り込みながら描いた。(撮影:小杉朋子)
モノトーンな「背景」と「人々」の中で、生きた血と熱をほとばしらせる主要登場人物達。「自由」に生きようとした男女と、彼らを破滅させてゆく因習的で排他的な社会を、聖母マリアが哀しみの眼差しで見つめている。(撮影:長澤直子)
人々は祭に芝居に湧き上がっているのに、当の役者達の顔は白粉を塗る前から蒼白い…閉鎖的な人間関係に息を詰まらせた座組の果てと、ただ一人「死に損なった」道化師の末路を、刻一刻と描いた。
(撮影:長澤直子)
【演目】
『一人芝居ミュージカル短編集』より
・ひとくちアイスクリン(竹久夢二) ・世界一美しい発明家(ヘディ・ラマ―)
『ゴローと呼ばれた男――《蝶々夫人》の軌跡』(オリジナル音楽劇)
「生き様」をテーマに、前半では実在の人物を題材にした『一人芝居ミュージカル短編集』から2作を上演、後半では架空の人物を題材にした『ゴローと呼ばれた男――《蝶々夫人》の軌跡』を上演。
『一人芝居』では、伊藤靖浩作曲/今井夢子脚本の「ひとくちアイスクリン(竹久夢二)」と、伊藤靖浩作曲/鈴木友隆脚本の「世界一美しい発明家(ヘディ・ラマー)」を選んだ。女達の詞から夢二の姿が浮き彫りになってゆく「ひとくちアイスクリン」は、1枚の絵を軸にしたシンプルなステージングを、作曲家アンタイルとヘディとの出会いがドラマの転換点となる「世界一美しい発明家」では、ピアニストと歌手が大いに絡む演出を入れた。
『ゴローと呼ばれた男』は、かの有名なオペラ《蝶々夫人》の前日談・後日談となっている。蝶々夫人の悲劇の発端となった結婚仲介人ゴローの10年後を描きつつ、より普遍的で抽象的な「生きるとは何か」というテーマを追究した。(撮影:長澤直子)
オリジナル演目なので、少しこちらに解説しております。
段差のある舞台面、鏡や手紙といった小道具、使い道が変化するパネルによって、登場人物の関係性や心情を表現。結末では、死に追いやられた恋人達が、天上で結ばれる様を表現。そのことによって、この世で「生き延びる」ことが必ずしも正義なのかを問うた。(撮影:長澤直子)
新美南吉の詞『ひとつの火』『ナガレボシ』『ヒロツタラツパ』『ごんぎつね』『明日』等をベースに、一人の女性が娘の死を受け入れ、新しい「明日」を迎えるまでの、心の旅を描きました。
「灯火の先には煌めく命があり、灯火の先には永遠の魂がある。」
それまでの配信「音の灯火プロジェクト」の完結編となっておりますので、ぜひこちらの再生リストと併せて御覧ください。(撮影:長澤直子)
「ある修道女の追憶」という副題のもと、エルヴィーラが一部レチタティーヴォの代わりに日本語の台詞で語り、彼女の「追憶」という形で物語は進む。コロナ禍中であることをふまえ、各人物が彫像的に絵面を作り、相手役が目の前にいるかのように振る舞うことで、世界観を統一した。
(撮影:長澤直子)
ベッドと思しき台を中心にめぐる、人間の欲望と「騙し合い」。途中で「感染防止対策」の看板が登場したり、舞台スタッフ達が出演させられたり……と、劇的空間と日常が交ざり合ってしまうような効果も狙った。結末を締めくくるフーガでは、字幕に歴代のヴェルディ作品を載せ、ヴェルディの死、そして夜明けとともに、登場人物達はそれぞれの「明日」へと帰ってゆく。(撮影:長澤直子)
現代の女の子と男の子が御伽話の世界に飛び込むというところからドラマをスタートさせ、第1幕~第3幕は御伽話の世界、最終幕は現実の現代という設定にした。
ファンタジックな出来事や登場人物を最大限に活かし、御伽話の中で「愛」を知った2人が、現代の世界にその歓びを運び込むまでを描いた。 (撮影:長澤直子)
「ダンテ『神曲』より地獄に堕ちたあの男を蘇らせたまえ」というオープニングの字幕のもと、ペストドクターを思わせる3人組がドラマを幕開けると共に、幕切れ終盤に公証人一行として現れる。
エプタザールの空間を活かし、オーケストラの周りを演者が縦横無尽に行き交うと共に、照明スタッフも「ブオーゾの霊」としてドラマに参加した。(撮影:長澤直子)
日本語台詞での上演であっても、作品成立当時のオーストリア史を考慮し、ファルケ≒オーストリアが平和的な手段で復讐を遂げる様を描いた。第3幕では刑務所の舞台装置の背後に、第2幕での舞踏会の装置が見え隠れしているが、その旗はオルロフスキーのロシア国旗ではなく、オーストリアの双頭の鷲に代わっている。
「真の『平和』とは何か」をテーマに、アンジェリーナ(チェネレントラ)が単に王子と結ばれるに留まらず、自分に酷い仕打ちをしてきた継父たちを赦し善を貫く姿を描いた。
本作を通じて人が互いを認め合うことについて考え、登場人物各々に共感いただければ幸いである。
(撮影:長澤直子)
創作当時から現代まで、幅広く人気のある《愛の妙薬》を、ある地方のテレビ局という設定で上演。
皆から小馬鹿にされてきたADネモリーノは、幼馴染で今やスター歌手となったアディーナと再会するが、その恋路の行方は…?カメラやマイクなど、この舞台設定だからこそ通じる道具を用いつつも、作品の根底にある人間ドラマを描き出した。【撮影:長澤直子】
サミュエル・ベケット『芝居』『クワッド』にインスピレーションを受け、モーツァルト《コジ・ファン・トゥッテ》の主要登場人物のその後を、不条理演劇仕立てで描いた。
結婚を間近に、オペラ《コジ・ファン・トゥッテ》で描かれた通りの「賭け」に加わった若者達は、互いへの恋慕・疑心を胸に、その人間関係の均衡を狂わせてゆく。
全登場人物が、今や中有に漂う存在として、各々に宿った情念を語り続ける【撮影:長澤直子】。
※オリジナル演目につき、少しこちらに解説しております。
《「歌劇」--男もみんなこうしたもの》振り返り - Togetter
モーツァルトがわずか14歳の時の、技巧を駆使したオペラ・セリア。そのことにちなんで、少年モーツァルトの父への葛藤と和解を、孤独な父王ミトリダーテのドラマに重ね合わせた。息子や許嫁への疑いに苦しんできた王は、死と共に一同と和解するが、その時ようやく少年モーツァルトも父王と抱き合う。旧奏楽堂での上演を想定した演出プランだったが、サンパール荒川での再演も実現。
(撮影:長澤直子)
気鋭の若き作曲家である蒔田裕也氏と、イタリア・オペラに精通した台本家である河原廣之氏による、新作オペラ《メドゥーサ》の東京初演。「メドゥーサの影」と名付けたダンサーを配置することで、第1幕ではメドゥーサの「美しい身体を巣食う醜い魂」を、第2幕では「醜い身体に宿る美しい魂」を表した。2023年には管弦楽版初演を名古屋にて実現。(撮影:長澤直子)
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